医療者から見た地域医療のいま

都心とは違う地元密着型の公立病院として
新たな地域医療のあり方を探る

2011. 9. 30   文/大森勇輝

県も危ぶむ病院が
最悪の時期を脱したワケ

氏原さんご自身、佐原病院の事務局長になられて5年目となりますが、病院自体の変化についてはどのように感じていますか?

氏原 例えば医師数でいうと、平成16年には28人だったのに対し、わずか2年後には18人まで激減していました。私が当院に着任したのは平成19年ですから、最悪のときに来たなぁと。悪いとは聞いていたが、これほどまでとは思いませんでした。

 また、私はそれまで民間の医療機関に勤めており、初の公募での事務局長としてやってきたため職員のことはまったく知りません。一方で、医師や看護師ら職員の側から見てもそれは一緒でした。そこで、まずは家も病院の近くに引っ越しし、全職員との関係を築くことに全力を尽くしました。事務長室の扉は開けっ放し。しかも、事務長室にはほとんど寄らず、病院の入り口に立って患者さんの案内をしたり、職員が診察などに行くときにも声を掛けたりしました。そんなことを就任当初からずっとやってる間に、だんだん職員が心の扉を開けてくれましたね。

病院の雰囲気はどうでしたか?

氏原 病棟はひどかったですね。クモの巣が張っているわ、壁は汚いわ。網戸は破れっぱなしで、外側もカビだらけ。そこで、1年目に職員との関係を築くと、2年目は病院の修築に手をつけました。外壁は白く塗り直し、内装も床から天井まで全部修復したんです。また、医師が急激に減ったので、使用されない閉鎖病棟もありましたね。そこで、そこに脳神経外科などを入れ、さらに、それまで一緒だった外科と整形も分けました。内科も循環器系と消化器系に分けるなど、徹底的に病棟の再編も行いましたね。それも、2年目に。また、てんかんを専門とする医師が来たため、脳外科をお願いすることができたのも、病棟再編の大きなきっかけでしたね。

ということは医師の数も増えたということですか?

氏原 いくらいい施設でも医師がいなければと思い、この病院に縁のある医師に連絡してみたのですが、皆さんけんもほろろ。そこで、今まで使ったことはなかったのですが、派遣業者、エージェントに頼むしかないと考え、ダメ元で20社くらいに連絡してみました。そして、そこを通じて、何百件ものメールを送り、また、希望するドクターを伝えて連絡するようお願いし続けたのです。それが功を奏して、全部業者を通じて医師を集め、自ら30?40人面接した結果、かつての18人から26人にまで医師数は回復しました。今でも、タイミング次第では良い医師を逃してしまうので、毎日1回、業者に電話を入れるようにしています。

 それと同時に、例えば糖尿病の認定医になるためには、いろいろな症例を経験しなければなりません。その点でいうと、当院の消化器系などは千葉大から一級品のお墨付きをもらっていますし、ほかにも同大の医師が始終来ています。そうしたことが魅力となり、若い医師が勉強したいとやってきますね。